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初詣〜新春に一年の福徳を祈る国民的行事〜
現在では元旦、もしくは正月に近所の社寺、著名な社寺などに参詣して、一年の福徳を祈る行事です。 その年の恵方(えほう=その年の吉にあたる方角。平成27年は乙(きのと)にあたる社寺に参詣するもの、 社寺のその年の最初の祭日に詣でるもの、恵方や祭日とは関係なく著名な社寺に参詣するものなど、人々によって初詣の仕方は様々です。 例えば、水商売の人なら豊川稲荷、学業成就を願う人なら天満宮とか、その他東京でいえば明治神宮、靖国神社、 商売繁昌をねがって成田不動など、思い思いに参詣します。
また、除夜詣をし、除夜の鐘が鳴り終わるのを境内で待って、そのまま初詣をすませる風景が、どこでもよく見られます。 しかし、多くの参詣者は、除夜詣と初詣とを別のものと考えず、二つを一つにすますという意識ももっていないようです。 午前零時をもって年が明けたと考えるので初詣になります。京都祇園、八坂神社の「をけら詣」など、大晦日の夜から詣でますが、 それが初詣とされています。
ご利益別神社仏閣案内

五穀豊穣・招福・商売繁盛 家内安全・無病息災・病気平癒 安産・子授け・子育て 学業成就 縁結び 交通安全・厄除け
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正月の遊び
双六(絵双六)
正月に子供たちが遊ぶ双六は、絵双六といわれるもので、本来の双六とは別種のものです。 絵双六は、江戸初期、すでに紙双六ともいわれて行われていました。 大きな紙に絵を書いて区画をつくり、サイコロを振り、振り出し(出発点)から振り目の数だけ進んで上がり(最終点)に早く到達するのを 競います。→双六商品一覧のページへ
福笑い(おかめつけ)
大きな紙にお多福の顔の輪郭だけが描かれてあり、それに目隠しをした人が、別に切り抜かれた目、眉、鼻、口、を書いた紙片をのせたり、 貼り付けたりする遊びで、自分の感覚だけで並べて行くため、非常に滑稽な目鼻立ちになるのが面白いところです。
貝合わせ(貝覆い)
平安時代の中期、貴族や武士の間に行われ、江戸時代になって女性や子供の遊びとしてひろまりました。 360個の蛤を、左貝(地貝)、右貝(出貝)にわけ、それぞれ伏せておきます。相手の貝を所望して、自分の持ち貝にあったものを 数多く得たほうが勝ち。左右の貝の内側に絵や俳句の上の句、下の句などを書き込みました。
かるた(歌留多)
〜ルーツはトランプに似た天正かるた〜
「かるた」という言葉がポルトガル語、スペイン語のcarta(英語のcardに当たる)からそのまま借用された外来語であることから見ても明らかなように、 16世紀半ばごろに種子島に南蛮人が漂着して以降、日本に定着した言葉です。最初に輸入されたのは「天正かるた」といわれ、こんにちの トランプと基本的には変わらないものでした(四紋章x12枚、計48枚)。

〜日本文化との融合・歌かるたの登場〜
江戸初期、天正かるたからヒントを得て、費用も手間もかかる貝合わせの貝のかわりに、長方形の紙型に古歌の上の句下の句を書き分けて 作られたのが歌かるたの始まりといわれています。そしてまず造られたのが歌として一番人気のあった百人一首でした。 歌かるたの取り方は、初めの頃は、人々は黙って一枚ずつ上下の句を合わせて取っていたようですが、元禄時代になると、 一人が声をあげて読み上げ、ほかが取るという今日のようなやり方に変わっていきました。

天正かるたの類は、後に博打に使われるようになり、禁止されては姿を変えては現れるということを繰り返し、 文化文政のころに「花札」が産まれました。 一方、歌かるたの類は、鳥や馬、草花、歴代天皇の実績といった様々な知識を覚えさせる目的で同じ絵をペアーにする「絵合わせかるた」や、 「ことわざたとえかるた」「いろはかるた」などに見られるような教育目的のものや、「野菜青物かるた」「「武者かるた」など、 見て楽しむといった趣味的なものも沢山つくられました。
独楽(こま)
独楽の歴史は古く、唐の時代の中国から、高麗(こま)を経て伝来したといわれています。奈良時代には朝廷行事の余興として回され、 平安時代になると貴族の間の遊戯として用いられました。一般の子供達が遊ぶようになるのは江戸時代、元禄以降のことです。 そして、貝独楽(ベーゴマ)、博多独楽、お花独楽、銭独楽など、いろいろな種類の独楽が生まれ、たびたび禁止令が出されたほど独楽廻しが流行していきました。 明治からは、交通事情の悪化に伴い、独楽遊びなどの路上遊びは次第に姿を消していきました。→こま商品一覧のページへ
羽根つき
ムクロジという黒く堅い木の実に鳥の羽をつけた羽子(はね)を、柄のついた長方形の板でついて遊びます。 その昔、蚊や悪い虫が、いろいろな病気運ぶと信じられていたので、蚊を食うトンボに似せた羽根を作って、 つきあげ蚊退治、厄病よけのまじないとしたのがその起こりといわれています。羽子板が押絵や描き絵を付けて女子の遊戯の具となったのは江戸時代にはいってからのことで、 元禄のころからは、戯用のほかに精巧な装飾用の羽子板も愛玩されるようになりました。その年の当たり狂言の俳優似顔の押絵を張ったのが喜ばれました。 押絵の羽子板は今日でも、床飾りまたは初正月の女子への贈り物として用いられています。
凧揚げ
凧の起源は極めて古く、ギリシャ、中国には2000年以上の昔に凧揚げをした記録が残されています。日本で凧が一般に流行するのは、江戸時代に入ってからです。 元禄のころから、様々な種類の凧が登場し、大人から子供まで、将軍から町人に至るまで凧揚げは大流行しました。凧揚げの時期は場所によって異なっていましたが、 たまたま江戸では正月から2月にかけて遊ばれていたので、それが定着し、凧揚げが正月遊びの一つになっていったといわれています。→和凧商品一覧のページへ
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芸能
万歳(まんざい)
万歳はその出身地により、三河万歳、大和万歳、尾張万歳などとよばれており、正月松の内に家々を訪れ祝言をのべる門付(かどづけ) の一種です。古くは室町時代の千秋(せんず)万歳で、陰陽師配下の餞民の芸でした。これが一般化して万歳となり、 通常、主役の万歳太夫と脇役で鼓を打つ才蔵と二人一組で行います。太夫はは風折烏帽子に紋服姿、才蔵はタッツケ姿に 侍烏帽子または大黒頭巾をかぶって、戸ごとをめぐり、節付の賀詞をのべ、立舞をし、才蔵とともに歌をうたい滑稽な問答を交わし、 米銭を乞うのでした。
獅子舞(ししまい)
家々を訪れて祝福する芸能の一つで、獅子頭をかぶって舞う神楽の一種です。悪魔を払い、正月の目出度さを一層目出度くしようとし、 寿命長久を祝って「寿獅子」などともいいます。関東、信越、東北地方に多く見られますが、越後月潟の越後獅子・角兵衛獅子はとても有名です。
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一月の季語
小正月(こしょうがつ)、女正月(おんなしょうがつ)
元旦の大正月に対して、正月十五日、または十四日から十六日までを小正月といいます。大正月が上層の儀礼的性格を持っているのに対して、 これは本質的に農耕的性格を持っています。農民に大正月よりも重く考える意識のあるのは、昔の暦が望の月(満月)を月のはじめとしていたと思われます。 唐制の朔旦正月が輸入される前は、月の満ち欠けにより、望(もち)から望までを一月と定めた古代暦法が生活を規制していました。 小正月は、望の日を年始とする、その旧制の名残で、朔旦を年始とする歴制の時代になっても、この望の年始はなかなか廃滅しませんでした。 また、大正月を男正月というのに対して、小正月を女正月ともいいます。一般には、暮れから正月にかけて、ずっと忙しない日々を送ってきた女性が、 このあたりでほっとひと息をつく、と受け止められています。
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暦については神宮館へ
干支・九星・行事・六輝・中段・二十八宿・下段、東京の日の出入・月の出入・満干潮時など詳細に記述されています。 暦の説明、九星別各人の運気の動向や、納音・十干・家相学・姓名学・命名字典なども加わっているボリュームたっぷりの暦です。
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